何かの切れ間にいて、もうすがるものもなくて。そもそも、そんな気もとうの昔になくしていたようで。
通常に戻っていく感覚をじわじわと感じながら、今までが非日常に近いものだというのを感じていた。
恋愛ごっこがしたかったのは私だったのでは、と考える。相手の本気の気持ちが本当に欲しいのか、少し首を傾げるところでもあって。
でも気持ちが欲しいくらい想う人がいたら、それはそれで、私は病んでしまうから。
多分今はこれでいいのかも、しれない。
恋愛ごっこでもなんでもいいのだろう。
肝心なのは病まないこと。極力。
選択する時点で正解不正解が決まっている世界でもないのだろう。この世というものは。
変化の中で選択は揉まれてどうにでもなってしまう。
多分どれも正解になりえる。半分だけ。
あとの半分は、選択のあと、いかに納得できるかだと思う。
そのときの懸命な自分の判断を、強く信じて、あれは正しかったと、言い張るしかないような、そんな感覚。
それは余白みたいなもので。選択の自由はそこから生まれていて。それが救いでもあるのだ。
変化とさまざまな角度という視点において、いくらでも正解は生み出していける。
そもそも、正解がなんの意味をもつのか。そこだって考える余地がある。
選択を誤ったかもしれないと、よく不安になる私に、少しずつこうやって、文字から気持ちをすりこんでいく。
薬が効いてきた。
ゆっくり休もう。