それは中学生の頃、勉強で順位がつくようになりだして、テストの度に胃が痛む思いをした。

 

私の価値はそこにしかないと本気で信じていた。

90点以上じゃないと私の価値はないと、学年一位の女の子にぽつりと漏らした。私は二位か三位だった。女の子は、そんなことないよと本気で言ってくれた。優しい女の子だった。

 

完璧に一位なわけでもないのに、誰に求められているわけでもないのに、本当に点数が私の価値に直結すると信じていた私。苦手な社会で77点をとって、答案用紙がくしゃくしゃになるのも気にせずそのまま机に伏せて力なく絶望した。

心配して寄ってきたクラスメイトに正直に点数を明かせば、その点数で落ち込んでいるという状況にひどく驚かれた。

 

すごい、といわれることが全てだった。

注目されなければ、誰かの視界に入って、記憶に残って、なにかと言えば私、といったような、タグ付けされた状態でないと、世界と繋がっていないような気さえしていたあの頃を、思い出す。

その癖人の視線が怖かった。認識してほしくても、注目はされたくなかった。

 

学年一位の子は順調に進学して医学部にいった。

私は中学にまともにいけなくなった。高校も、入学してすぐ別の高校に編入した。大学受験は落ちた。転職ばかりして、パートで生きている。

みじめだと、たぶんあのときの私は思うだろうな、今はどうか、どんな答えでも、私は胸を張れずにいる。

 

平均50点で生きていいんだ、という。記事を読んでいろいろ思い出した過去。誰かのイタズラ書きのようなぐちゃぐちゃの人生。

 

今はきっと77点でも落ち込まないし、点数と価値との関係は全くなくなった。むしろ、点数がつかない、答えのないことばかりの社会に放り込まれて、日々自己採点を繰り返すけれど、わからなくなる。なにも。突然。

 

疲れて痛む足を放り出してぼんやりと眺める天井が、日々とてもなじみ深い風景になる。

これでいい、と、満点を出さなくてもいい日々を、受け入れられる日が先か、自己採点が甘くなる日が先か、どちらもないか、わからないけれど。

 

頭が回らない。寝よう。