過敏なことは昔から勘づいていて、しかし「考えすぎ」「気にし過ぎ」ということばに押しつぶされ、私もそれを受け入れていたわけで。
結局本当に聴覚が過敏で、遠くの音を敏感に受け取ってしまっていたとわかったのはつい最近のこと。
季節の変わり目、そろそろ涼しくなってくるのは11月。南国ならではの気候に私はまんまとやられ、目眩と吐き気を催しながら向かった耳鼻科。
耳の聞こえも悪いんです、という私の訴えに応じて聴覚検査を行い、
しばらくして出た結果に、医者は物珍しさから笑い声をあげ、その声を私はカーテン越しに聞いていた。
この医者は研究者でもあるな、とつくづく感じる瞬間でもある。
珍しい結果がでると楽しそうにするのだ。
目眩の検査でも私はひどい血圧の値を叩き出し、この医者の笑いをとっている。
まさに体を張った笑いというやつか。
全くもって発揮する場所を間違えている。
いえば地獄耳、聞こえすぎて困るねぇ。
結果の紙を見せながら医者は笑ったものの、少し同情の色もあった。
大変でしょう、生活は、
そう続いた医者の言葉を理解するのに、少し時間がかかった。
なぜなら私はこの聞こえ方しか知らないからだ。
昔からこの耳でいた、音を拾い続けて確かに辛いことはある、頭がパンクしそうになることも正直あった。
ただ、普通の聞こえ方がわからないのだ。
だからどのくらい聞こえすぎているのかもわからない。
平均値とは。平均的聞こえは、どのくらいなのだ。
今更聞こえなくなりたいと思うことも、正直全くないのだ。
変な愛着というものがわいている。手がかかるものほどこうなってしまうのか。全く面倒な性格だ。
耳だけではない。最近私は基本的に過敏であることに気づき始めた。
偶然出会ったHSP(ハイリーセンシティブパーソン)という言葉。人の特徴?体質?を表すようだが、なかなか、私に当てはまることが多く。
最近それについての本を買った。
HSPの説明に、大きく首を縦に振りながら読んでいた。傍から見れば滑稽である。
しかし納得する事柄しかなかった。
今までは全てを性格の歪みとして、直すべきものだと捉えて否定してきたこの過敏さであるが、
体質なら仕方ない。そう思えてきてもいる。
理解できたならあとは対処だ。
自分にあった生活と、必要なものがあれば買い揃えて装備して。
自分が一番の理解者にならなければ始まらない。
今まで放ってきた分、それなりにケアしなければと思った今日この頃。
通いすぎてそろそろ顔を覚えられそうな、某所のスタバでこれを更新する。