おばあちゃんが

何故私をこんなにも可愛がったか、と考えたら、おそらく、いつでも私は一番小さかったからだろう。

 

父方の親戚の中で私は一番下だった。おばあちゃんを囲んだ正月、お盆、誕生日、何気ないお墓参りの後。みんなでテーブルを囲んで、お漬物と畑で採れた果物と近所の人の差し入れを、それぞれつまんでいくひととき、いつでも、私は一番小さかった。

 

おばあちゃんからしたら、いつでも私は子犬とか子猫のような存在だったんだと思う。私が顔を出すとニコニコして、顎の下をくすぐったり、ほっぺたを両手で包んでもみくちゃにしたりしていた。それが大学生になっても、働いてからも続いた。いくつになっても、おばあちゃんの孫だもの、一生変わらないことでしょう?と、よくおばあちゃんは言って、ニコニコしていた。

 

そのときの笑顔が忘れられない。純粋な喜びとか、愛情とか、そういうものが全部詰め込まれていた瞬間。そのときは受け止め切れずに、どこかどきまぎして、恥ずかしくて、うまく笑えなかった日々。

今思うと、なんてもったいないことを、と思うけれど、そのときの私はそれが精一杯だった。

 

30を過ぎて思うことがいろいろある。振り返る思い出も増えた。もっとおばあちゃんと話したかったと、きっといつでもそう思う、たくさんの後悔を抱えてこれからも生きるんだろうなって、思う。

 

ねぇ、おばあちゃん。私たくさん抱え切れないことがあって、思い出は記憶からこぼれていくばかりなんだけどね。最近やっと愛情というものがわかってきたときに、やっぱりおばあちゃんがすぐ出てくるんだよ。

玄関を開けて、奥からおばあちゃんが出てきて、私を見つけて笑ってくれた思い出が、まだ、私に生きていていいんだよと言ってくれてるみたいで。

 

私、おばあちゃんのいる天国に行きたいって本当に思ったことがあるの。生きるのが苦しくて、おばあちゃんに会えなくて寂しくて、これからがわからなくて、疲れて、おばあちゃんの前で泣きたくて、子どもでいたくて。

でもね、今はちゃんと生きようって思ってるよ。もうおばあちゃんはいないけど、すごく寂しいけど、周りの人をもう、一人も失いたくないけど、どんなことがあっても死ぬまで生きようって思えるよ。

 

もっと話したかった。生きれば生きるほど話は尽きないね。たくさん言いたいこともあるし、たくさん謝りたいことだってある。こんな私だけどもう少し生きてみるよ。

もしいつか私もおばあちゃんになって、そのうち天国にお邪魔することになったら、また私を見つけて、笑ってくれるかな。そのときはたくさん話がしたいよ。それまでもう少し待っててね。沢山お土産もっていくから。待ってて。