思い出すのは

小さく丸まった祖母が、あなたは本当に可愛いねと無邪気に笑いかけてくれる笑顔。

 

いくら体型が変わろうとも、落ち込んだ顔をしていようとも

祖母はずっとずっと私に可愛いと言い続けた。

ただ私がいるだけで笑顔になってくれた。

そんな貴重で大切で温かくて大好きな人を亡くした事実が、突然押し寄せては私の気管を押しつぶしていく。

 

祖母から学んだことは多い。私の基盤のほとんどは恐らく祖母だ。

私が歳を重ねるごとに、難しい話をたくさんしてくれた。すべて覚えているわけではない。ただ、そのときの、この、文字にし難い、たくさんのエネルギーをもらったことは今でも鮮明に思い出せるし、感覚が生々しいといっていい程残っている。

 

私は、今、自分を大事にできているだろうか、と、ふと思う。

祖母が私に接してくれたように、まるっとなにか包み込むような優しさを、私はもっているだろうか。

他人に対しても、自分に対しても。

 

どうしても最近、自分の気持ちばかり先行している気がする。

自分を先行しているくせに、自分が置いてけぼりでもある。

 

一時期、22時以降はスマホの電源を落とし、ストレッチや音楽を聴いてゆったり過ごしていた時期がある。

あのとき、私は孤独さえも大好きだった。自分だけの宝物で、自分だけが知っている世界ってなんて素敵なんだろうと。

あの頃はすごく満たされていたように思う。

 

今に不満があるわけではない。環境も変わり、たくさんの人と関わる機会が増えた。

それはそれでいいことであって、否定的な気持ちがあるわけではない。

 

ただなにかひっかかる。なにか忘れているような、そんな気分に時々なっている。

それに気づけるだけでもいいのだろうか。

違和感と一緒に過ごしている、最近。

これが大きなずれにならないことを、祈っている。